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ファン・ゴッホ「木の根と幹」
コロナ渦が産んだ新発見

2020年7月28日、コロナ渦のロックダウン第1弾が解除されたフランスで、画家ヴィンセント・ファン・ゴッホに関する新発見が発表されました。

近年の研究でゴッホの絶筆とされている、「木の根と幹」(日本での通称)を描いた場所が特定されたと言うのです。

それは、ゴッホが最晩年に投宿していた、パリの北の町オーヴェル・シュル・オワーズの、ラヴー旅館の裏道を150メートルほど歩いたところでした。

ファン・ゴッホ 木の根と幹 1890/7
ファン・ゴッホ
木の根と幹 1890/7

ロックダウンの中で

フランスのゴッホ研究者ウーター・ファン・デル・ヴィーン(Wouter van der Veen)氏は、2020年の初頭、オーヴェル在住の94才の女性から20世紀初頭の絵はがきのコレクションを寄贈されました。

コロナ渦によるロックダウンで在宅を余儀なくされたヴィーン氏は、これを機に古い書類をデジタル化して整理すべく、そのコレクションもスキャナーで取り込み始めました。

4月15日ごろ、作業中に電話がかかり、ヴィーン氏は話し始めましたが、パソコンのディスプレーに新たに映し出された一枚の絵はがきに、目が釘付けになりました。「私は長い間その画面で一時停止しました。私は相手の話を聞いていませんでした。そして、電話を切ったのも覚えていません」(下記ヴィーン氏の著作より)。[1]

110年前の絵はがき

オーヴェルの田舎道を映したその絵はがきには、ゴッホの「木の根と幹」にそっくりな木の根が写っていたのです。

絵はがきは1900~10年ごろのもので、「オーヴェル・シュル・オワーズ ドビニー通り(Auvers-sur-Oise Rue Daubigny)」と説明書きがあり、研究者にとっては馴染みの場所でした。

1910年ごろの絵はがき
1910年ごろの絵はがき
(出典・ゴッホ美術館/オランダ)
[2]

歳月の中で

ドビニー通りはラヴー旅館の裏手にある道です。

絵はがきの土手には木の根がむき出しになり、その形状はゴッホの有名な絵「木の根と幹」(の左半分)、そのものと言えるものでした。

これまでも現地は、多数の研究者やゴッホに関心の深い人々が往来したはずですが、樹木の経年変化や、季節によっては草が繁って根元を覆い隠したり、ゴッホの作品を連想するには至らなかったようです。

ゴッホの作品から10~20年のころの絵はがきの「木の根」は、ゴッホ作品に描かれた形状をまだ生々しく残していました。

周辺に在住の人たちには、古い木の根の存在は知られていて、「象」と呼ぶ人もいたそうです。

彩色してみる
(出典・ゴッホ美術館/オランダ)
ゴッホの絵を重ね合わせる
(出典・ゴッホ美術館/オランダ)

「木の根と幹」の場所

ハガキ絵の木の根は、ゴッホの絵からは20年が経過していましたが、ゴッホの絵を重ね合わせてみたところ、主要な部分は完全に一致しました。

5月31日、ロックダウンの解除とともに、樹木の専門家も含めた研究者たちが場所を確認し、草刈りなどをして、100年は経ていますが、同型の木の根を確認しました。土地の所有者からの理解もあり、早速景観の保護に乗り出しました。

絵はがきから110年、ゴッホの作品から130年を経ていますが、人、車が通る道路際であり、右隣が人家であることを考えると、部分的にも残っているのが奇跡的と言えます。

グーグル・ストリートビューでは、道路脇に問題の「木の根」が映し出されているのが分かります(現在は、保護のために柵が設けられています)。

発見前の現地
Google ストリートビューへのリンク

2022/5 保護柵が設けられた現地 ストリートビューへのリンク

ラヴー旅館と「木の根と幹」の位置は以下の地図の通りです。ラヴー旅館からは150~60メートルほどの距離。

ドビニー通りはラヴー旅館の裏手、屋根ほどの高さになります。ゴッホはラヴー旅館の左手の小道でも作品を残しています。

ラヴー旅館からの位置
Googleマップへのリンク

サンソンヌ通りと市庁舎

ラヴー旅館の左から奥に入る小道は「サンソンヌ通り」と名付けられ、ゴッホはここでも作品を残しました。この道の奥の階段を右に上るとドビニー通りとなり、左側に行くと、ドビニー通りの「木の根と幹」の現場付近に出ます

ゴッホが描いたサンソンヌ通り
googlemapへリンク 360写真
ゴッホ作品の看板と、奥に階段が見えます。

ラヴー旅館の前は市庁舎で、ゴッホが描いた市庁舎の作品は、祝祭用の旗がはためく様子からフランス語ウィキペディアでは「7月14日の市庁舎」と紹介されています。[3]ちなみに、他にも「最後の作品」として有名な「黒い鳥のいる麦畑」は、ゴッホの弟テオとの手紙のやりとりから、7月10日頃の作品とされています。

googlemap 市庁舎前へのリンク

参考

ヴィーン氏の今回の発見に関する著作(電子ブック 無料ダウンロード)
ゴッホが最後の傑作を描いた場所の発見
出典・ゴッホ美術館(オランダ) 「木の根」に関する記事
7月14日のオーヴェル・シュル・オワーズの市庁舎
Wikipedia フランス語
ファン・ゴッホ(Wikipedia 日)
ファン・ゴッホ 木の根 (Wikipedia 英)
ゴッホ作品カタログ オーヴェール・シュル・オワーズ (Wikipedia 英)