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海達公子詩集について


 ふと思いつくところがあって、かうひい屋のページをご覧の皆さんに夭折の詩人・海達公子(かいたつきみこ)をご紹介したいと思い、このページを作成しました。

 海達公子は大正5年の生まれ、熊本県荒尾市に住み尋常小学校の初期から雑誌「赤い鳥」に積極的に投稿して高い評価を得ていました。しかし、将来が嘱望された女学校卒業直後、16才で急逝しました。昭和8年のことでした。

 同時代、同様の雑誌投稿でやはり高い評価を得ていた金子みすゞが、昨今再評価されていますが、海達公子もまた「第二の金子みすゞ」などと呼ばれて再評価著しいものがあります。

1.横書きテキスト(全文)

 昭和五十五年に出版された「海達公子遺稿詩集・復刻版」から海達公子の詩の全文です。
 主に、大正13年から昭和3年まで、ごく短い間の詩作期間です。

 作品をご覧いただく様式は、1作品ごとに表示を切り替えるスライド形式なども考えられますが、まずは数ページに分けてずらりと羅列してみたところ、見通しがよく、ご覧になる方が全体像をつかみやすいかも知れないと想像し、しばらくは、このままにしておきたいと思います。

海達公子詩集・テキスト版のご説明


 かうひい屋が、このweb版・海達公子詩集を作るために参照した本は、昭和五十五年に荒尾市文化連合会から発行された
  「海達公子遺稿詩集・復刻版」
です。

 海達公子の遺稿集は数種あり、この「復刻版」は、昭和二十六年に荒尾ペンクラブによって発行された
  「故 海達公子 遺稿詩集(非売品・会員領布)」
によるものだそうです。この復刻版は昭和二十六年のものを復刻し、かつ続編として二十六年当時掲載されなかった70作品ほどを新たに追加しています。

 このwebページの ★横書きテキスト 19~113ページまでが昭和二十六年までの復刻版で、118ページ以降が五十五年の追加分です。

 なお、正確を期してはおりますが、誤字脱字、タイプミス等のチェックは甘いと思われますので、より専門的に参考になさる場合は、原本をご参照下さい。下記によりお求めになれます(¥1000+送料)。

海達公子遺稿詩集の再復刻版について

本ページに記載の「海達公子遺稿詩集・復刻版」が再出版され、一般の方も入手可能となっています。連絡先は熊本県荒尾市・商工会議所内の
海達公子顕彰会・事務局 電話番号 0968-62-1128 まで。



規工川祐輔著 評伝「海達公子」(「赤い鳥」の少女詩人)2004年熊日出版


評伝「海達公子」

 海達公子かいたつきみこに関する情報はそれほど多くありません。かうひい屋が海達公子に興味をもつにあたって導いてくれた一冊の名著(かうひい屋の言)がありましたので、ご紹介させていただきます。


ネットが教えてくれた海達公子

 数年前、ちょっとした興味があって「森鴎外 熊本」でネット検索をしている時に、海達公子の詩に行き当たりました。
 日常の中に詩材を見いだす鋭い感性、幼いながら繊細せんさいな自然観察、また私達九州人には馴染みの深い方言の使用など、親しみや懐かしさを感じつつ読むことが出来ました。

 「森鴎外 熊本」はさておいて、「海達公子」の方に興味が移った私は、資料を求めて公子の出身校で、公子の銅像があるという熊本県荒尾市の荒尾第二小学校に電話。「海達公子に興味がある」旨を伝えると、規工川祐輔きくかわゆうすけ氏を紹介して下さいました。規工川氏に海達公子に関する著書があることが分かり、早速ご本人から購入させていただきました。


名著! 評伝「海達公子」

 規工川氏の、評伝「海達公子」(「赤い鳥」の少女詩人)は優れた作品でした。驚きました。「赤い鳥」の関係者の間で天才少女と呼ばれても、所詮しょせんは小学生。その生活の成り行きを描いてもドラマチックでもないであろうし、退屈な文章を我慢して読むつもりだった私は、第一章「公子出生」を読み始めた途端にぐいと引き込まれ、店の営業の合間を縫いながら二日間で読み終わってしまいました。

 第一章「公子出生」の出色なところは、熊本県荒尾市に育った公子が、実は長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)に出生証明書が残るという事実に注目してその理由を追っているところです。「長野県生まれ」はすでに知られていた事実だそうですが、その理由を追う人はいなかったようです。

日本地図 規工川氏は公子の両親の里、四国・徳島県由岐町阿部の風俗を調べるうちに「阿波のいただきさん」と呼ばれる、当地から日本全国に散らばった海産物の行商人達に行き当たり、公子の祖母、母ともに「阿波のいただきさん」として生計をなしていたことを突き止めます。公子は母親の行商先の長野県飯田町で生まれたことになります。
著者の言によれば
「阿波の阿部と信州飯田町とを結ぶ太い線が浮かび上がってきた。私は狂喜した」 とあります。


お薦めの一冊

 この解明によって、公子の荒尾市での生活の基盤となった祖母と母親の行商生活も浮かび上がり、公子の実像がぐんと鮮明になってきた、と言えます。「期待しないで読み始めた」失礼な読者にとっては、予想外のスリリングな展開でした。

 第一章での著作態度に見る通り、評伝「海達公子」は客観的で具体的な資料に裏付けられた力強い作品となっています。著者は主観を強要することなく、落ち着いて公子を評し、「天才少女」の冠をつけて称揚を計るちまたの風潮にも冷静に疑問符を呈しています。その姿は、少女詩人・海達公子の在りし日を慰撫いぶするようでもあります。

 第一章でちょっとしたスリルを味わった後は、公子への興味はもとより、規工川氏の真摯なお人柄を感じつつ読み進むことが出来ました。
 海達公子に興味をお持ちの方には、ぜひご一読をお勧めしたいと思います。


ついでに一言

 ここまでお読み下さって、ありがとうございます。
 ついでながら、ではなぜ「阿波のいただきさん」が熊本県荒尾市に住み着いたのか、について。九州、特に北部九州にお住まいの方なら、ははぁと言わずもがなでうなづくところ、他地方の方々には理由が分かりにくいかも知れません。

 熊本県荒尾市は、古くから石炭の一大産地だった福岡県大牟田市の隣町なのです。かつ、両市の中心地は非常に近接しています。
著者の言をもう一度引けば
「何故に荒尾を求めて遠く来たり、居を構えたのか。一言で言えば、荒尾・大牟田地方の石炭景気をあてにしてやってきたと言えよう」
となります。

参考リンク

●海達公子
 評伝の著者が、公子の母校・熊本県立玉名高等学校(旧高瀬高女)のために書き下ろした紹介文。
●「阿波のいただきさん」の姿
  徳島県立博物館の 部門展示(人文)のページ。このページの写真に小さくですが、頭の上に大きなかごをかかえた人(人形)が二人写っています。海産物を頭の上(頂き)のかごに入れて売り歩く女性の姿です。
●くまもと文学散歩
 熊本ゆかりの文学者達を紹介するページ。「森鴎外 熊本」の検索で行き当たり、海達公子を知ったページですが、熊本国府高等学校のPC同好会の作だそうで、なかなか見事なページです。